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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第3節 仮面の下 [11]




 旅館の女性は夜も人が多いような事を言っていたが、実際は思ったよりも少ない。渡月橋の上で記念撮影をする若者もいるが、少し離れた川沿いには、ほとんど人影もない。

 夏休みを楽しむ若者たち。
 夏休み―――

 普通、自分のような高校生ならば、どのような夏休みを過ごすのだろうか?
 海外へ? 国内で避暑?
 勉強に勤しむ者もいるだろうが、二年生ならばまだ休暇を楽しむ者がほとんどだろう。
 普通の高校ならば部活動に汗を流す者もいるのだろうが、まぁ 唐渓の生徒にそのような姿は想像できない。
 胸のうちで嘲笑を響かせ、だが比べて、自分の夏休みは?
 チロチロと響く流れの音に、己の下駄の音が耳障りでゲンナリする。
「こんな風情を浴衣美人とご一緒できるなんて、男としては嬉しい限りですね」
 なんて、とても本気とは思えない言葉をかけられても、かえって恥ずかしいだけだ。
 その(あて)なる姿の横では、所詮は月夜の蛍でしかない。
 目線を横へズラすと、ちょうど慎二の首元にぶつかる。
 細身のシャツ。七分丈。女性物かとも思えるが、左前なので男物だ。
 少し光沢のあるダークグリーン。先の尖った葉の模様が、細身でも貧弱さを感じさせない。楓だろうか? 紅葉だろうか?
 七分丈でも涼し気だ。シャツの素材が良いからだろうし、ドレスシャツっぽいのも一要因だろうが、それだけではないだろう。
 着こなす人物もまた―――
 まともに顔を向けることができず、ときどき盗み見るようにしか見上げることができない。
 その、白く細い整った顔立ちと、背に流れる絹糸のごとき茶色の髪。すっかり暮れてしまった闇夜の中に、ボウッと浮かぶように美しい。
 結局、何だったのだろうか?
 テコテコと横を歩きながら考えたところで、所詮答えなど出るはずもない。
 履き慣れない下駄に苦戦しながら、だが、考えずにはおれない。

「見捨てるようなコトはしませんから」

 何かあるだろうとは、思っていた。そもそも理由も不自然だ。
「昼間は、ずいぶんとご迷惑をお掛けしましたね」
 ポツリと、呟くように慎二が告げる。その声があまりにも静かで、美鶴は聞き返す声すら出すことができなかった。
 見上げる顔は、こちらを見てはいない。まっすぐに前を向き、だが少し伏し目がち。
「実はね、私は女性というものが昔から苦手で」
 口にする表情は少し恥ずかしそうで、その頬が微かに紅潮しているのではないかと錯覚する。
 それもまた甘美。
「女性とお付き合いをするコトもありませんでした。それを、この歳にもなってと母が口うるさくてね。ここ最近は特にそれがひどくて、この性格を変えないのなら智論との許婚の話を本当に進めてしまうなどと、脅しまがいな事まで言ってくる始末です。引き篭もりの性格同様いろいろと(わずら)わしかったものですから」
 そこで初めて、美鶴を見下ろす。
「少し、母に対してストレスが溜まっていたのかもしれません。アッと驚かせてやろうなんて、実に子供っぽいですね」
 自嘲気味でありながら、どことなく茶目っ気も含ませる。
「二十歳も過ぎた息子に世話を焼き過ぎだとも思うのですが、まぁ 焼かせているのはこちらですから、どっちもどっちでしょうね」
「はっ はぁ …あ いっ いえ」
 もう美鶴には、そんな言葉しか出せない。
 ただ、それならもっと親しい友人でも連れて行けば良いのだ。女性が苦手と言っても、一人も知り合いがいないワケでもないだろう。
 美鶴なんて、まだ知り合って間もない。気の利いた話し相手にもなれない。
 だいたい、彼とどのような会話をすればいいのか………
 そこで思わず顔を背け、瞳を閉じる。
 美鶴は霞流慎二について、あまり良くは知らない。許婚がいることすら、知らなかった。
 解れた木綿が、脳裏で揺れる。
 あの時の人だ。

「泣きたい時は、泣いた方がいいよ」

 駅舎でそう告げた女性。
 まさか、霞流さんの許婚だったなんて。







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